皆さんこんにちは
伊藤です。
考えてみればこの時間私は出勤中です。
普通の生活の人の出勤時間と比べれば随分遅いです。
基本的に昼〜夜中というスタイルで働いておりますのでこんな感じです。
そんなクソの足しにもならないような話は一旦バケツに放り込んでおくとして
先日人と話していて、果たして私は
「中途半端な左利き」
なのか
「中途半端な右利き」
なのかという話題になりましたが、
まあ答えは出ませんでした。
先日のブログでも少し触れたように私は利き手がどちらかよく分かりません。
人前で目立つ行為としての
字を書くのは右ですし
箸を持つのは左です。
その時点もう、ちょっとなんだかな。
って感じですが
カッターは右ですが
包丁は左です。
因みに私、両方は使えません。
どちらかだけです。
ペンは右で持ちますが左で時は書けません。
箸は左手で持ちますが右手では持てません。
混在している感じです。
そしてこの混在、何かをする前に
これは右(左)というのが分かりません
つまりやってみないと分からないのです。
使ってみて使い易い方が利き手になります。
あまり利き手を意識して生きている訳ではありませんが、中途半端に左が混在しているおかげでこの世の中の“右利き優先主義”がよく分かりす。
大多数なので当たり前といえば当たり前です。
大きな所でいえば改札やら自販機やら。
小さな所でいえば時計やらカバンやら。
つかなんで服のボタンって男女で違ったりするん?それ分からん。
まあええや。
まあなんと言うかこの星に生まれて(急にこんな表現使ってみたりします)生きているので、それを“不便”と思う事はあまりまりません。
生まれてからずっとそうだもん。
そういうもんなんだもん。
あんまり気にした事ない。
そういう“当たり前にある物”に対しては気になる事はないけど、
“これ使い易いよね!”って敢えて右利き用に作られた物は違和感しか感じないです。
でもそれ“右利き用”って分かってたら自分でチョイスしないから良いんです。
買わなきゃ良い。
出刃包丁とか。
ハサミとか。
買わなきゃ良い。
でも時々自分でチョイスとか関係なく自分の前に出てきたりする物があります。
その代表が“食に関する物”であり、そういう物が出てきてしまうのは“外食した時”です。
それはもう防げないです。
勝手に目の前に置かれるんだもん。
勝手にそれ使わされるんだもん。
どうしようもない。
しかも“それに出会う時”って使ってから気がつく事が多いです。
やたらこのスプーン食べ難いな…
とか思ってたら変な角度ついてたり。
なんやこのデザイン?意味あるんか?
と思ってたら右で使えばちゃんとした使い方が出来たり。
これはなんというか、あまり適切な言い方ではありませんが、なんというか軽く殺意が芽生えます。
軽くね。
本当に軽く。
一瞬だけ、
本当に軽くよ。
少しだけね。
そういうの出してくる飲食店に限って妙に色々拘ってたりするんだよね、
だからこそ“わざわざ右利き用”の食器使ってる訳だし。
食べ易いですか右利きの人は
あーそーですかー
それは良かったですねー
素晴らしい事ですねー
普通の食器より食べ易くしてあるんですもんねー
なんせ右利き用ですもんねー
拘ってますもんねー
あーそーですかー
良かったですねー
って、心の中で棒読みの感情が湧いてくる。
食に関して私と同じ感覚でこだわりのある友人(つまりこの友人が美味しいと連れて行ってくれる店は間違いない)に
「伊藤さん、美味しいカツカレーの店見つけた、行こう」
って連れて行ってもらったお店。
ここまで書けば皆さんお察しでしょう、
スプーンが右利き用でした。
食べる前は気が付きませんでした。
俺は美味しいカツカレーを食べに来ただけなのだ。
一口目で異変に気が付きました、
食べ難いぃぃ!このスプーン!
なんでぇぇぇ????
3口目ぐらいで気が付きました、
これ右利き用…
俺は思わず首を傾げました。
それをみた友人が心配そうに言いました、
「あれ?伊藤さん好みじゃない?」
俺は首を横に振り言いました、
「いや、そういうんじゃなくてこのスプーン右利き用だわ。めっちゃ食べ難い。」
友人は爆笑しながらカレーを食べ続けていました。
俺は味をあまり覚えていません。
印象に残っているのは
「右利き用のスプーンを出す店」
だけです。残っている印象これのみです。
ちょっと時間があればまた食べに行きたいと思います。
今度はしっかり味を確かめに。
美味しいもの美味しく食べたいし。
それでは皆さん
良い1日を。
因みにスマホは右手です。